since 2009.10.3

 

宮崎 廣子 みやざき ひろこ

大正7年東京銀座に母、酒井よしの末娘として生まれる。父は長井越作商店を創業した実業家。
その後、実家は世田谷区太子堂に移り、母が病弱であったため子育てはせず、神奈川で農業を営む叔母の家で幼少期を過ごし上野高等女学校に入学後は台東区小島町の叔父の家から通学し、卒業後の数年間は実家で過ごす。宮崎鶴鴎(故人)と結婚後、 夫の転勤により満州に転居、天津で田鶴子を出産、1児の母となる。夫の郷里、大分県・別府に帰郷、終戦を迎える。東京・浅草、豊島区日の出町などを転居しながら 1963年(S38)より・豊島区西池袋に住む。2011年2月家族とともに川崎市多摩区南生田に転居。
幼少期に母の愛情が希薄であったが兄や姉、親族に護られて育ち娘、孫、親戚の他、友人知人の面倒も献身的に引き受けた愛情深く、忍耐強い人。身長約150cm、体重約35kg、健康状態は良好でリハビリの成果が日々現れるミラクルなB型 。

病歴

1997年頃  徐々に認知症的な症状を持つようになり24時間見守りが必要な状態になっていく。

2007年秋  夏風邪をきっかけに脱水症状、膀胱炎でとしま昭和病院に入院。介護認定を受ける・要介護4。

2008年8.19  右前頭側頭葉皮質下出血により目白病院に入院、左麻痺と失語症、 入院中に胆のう炎を起こす、PEG造設後退院。

2008年10.5 在宅にて家族リハビリ生活を続ける。要介護5。
退院初日より寝たり、起こしたり、立たせたりと「寝たきり」ではない暮らしをさせているが
一般的には「寝たきり」に該当し、現在も声は出ず、身体を使った意志表現等もみられない。(在宅ではなく転院等を選んでいた場合、植物状態に限りなく近い状態になっており、予後も不明と推察。)

その後半年ごとのCT撮影では若干の脳の収縮や小さな脳梗塞の名残が見られるものの
生活状態は安定しており、視力が回復したり、極めて不快な時にはかすかなうなり声も出せるようになった。
訪問マッサージを週2回継続して1年が経過し、足を伸ばしたまま眠るようになった。
口腔ケアは家族の疲労により一時期怠ったためあっという間に溶け始めてしまった・・・
ちゃんと磨き始めると歯茎は健康になり、口臭も全くなくなり一安心してはまた悪化させ、 という状態を繰り返している。


利用中の介護保険サービス:室内車椅子&クッションレンタル
医療保険サービス:訪問医2ヶ月1回、訪問歯科月1回、訪問マッサージ週2回
嚥下状態を内視鏡で検査(単発)、6ヶ月に1回PEG交換と脳CT撮影、

2008〜2009  ザンタック、ウルソ、ノルバスク
2011       ホクナリンテープ、ムコダイン

費用詳細は「カイゴカルチャー」に掲載