我が家は今年91歳になったおばあちゃんと父、母、妹そして私の5人で暮らしています。
おばあちゃんのことはある時からひろちゃんと名前で呼ぶようになりました。
主な理由は12,3年前から少しづつ認知症となり、その中で自分が高齢者だと
思わなくなったことと、旧姓の長井廣子と現在の宮崎廣子、どっちが本当の名前なの?
という質問が続いたためです。そしておばあちゃんと呼ぶよりも廣ちゃんと呼んだ方が
介護していて楽しいからというのも大きな理由です。しかし、今となっては以前のような
お笑い芸人顔負けのおかしな会話は聞かれなくなりました。
昨年の8月19日に脳出血で入院、ちょうど1年前となる10月5日に退院し
以来在宅で家族介護をしてきました。
足掛け10数年の介護生活はとにかく大変で疲れるし収入は減り、先が見えず
困ることもたくさんありました。その反面、いつも楽しくて笑いがあり希望と充実も
ありました。毎日が知恵くらべです。結果我が家はとても幸福な家になりました。
なぜ、このようにうまくいったのか?と考えてみると4人がひろちゃん中心主義で
協力し続けてきたことと優れた道具をそろえ生活への工夫をしてきたことが挙げられます。
今日は入院前の暮らしの様子を織り交ぜながら特にこの1年、PEGを活用して
口から食べるリハビリに挑戦してきたことをお話させていただきます。
まず、最初に見ていただきたいのが4年前に建て替えた我が家の間取り図です。
それまでは築40年以上の家に住んでいました。2階が生活の場で1階にお風呂がありました。
86歳の認知症の廣ちゃんにとって、暮らしの限界が近づいており、
生活環境を変えるリスクも年々高まっていました。
そこで、廣ちゃんの財産なんだから廣ちゃんのために使いきろう!と
バリアフリーマンションへの住み替えを検討しましたが
友人でもある専門家のアドバイスと協力を得て賃貸併用住宅に建て替えることになりました。
賃貸部分を大幅に増やし収入を出来る限り安定させ自分達は窮屈に暮らすことで
実現したプランです。
おばあちゃんの介護の先には現在60代の両親の老後の暮らしも行われる家です。
人生の変化に応じて使い方を変えられる家、完璧な家よりも
我慢しやすい家を作ろうと思いました。
1階に住むこと、1フロアで完結する間取り、60平米の間取りプランは1LDKになりました。
玄関を入るとキッチンとリビングがあります。
家事動線と廣ちゃんの見守りを考えて洗濯機と冷蔵庫は隣同士です。
すべての部屋がクッションフロアーで短い廊下沿いに広さのある使い心地の良いトイレ、
その先にはクローゼットで間仕切った2つの寝室があります。どの部屋にも室内換気があります。
廊下をまがるとバスルームですがミストシャワーのみでバスタブはありません。
車椅子式のシャワーキャリーを使っています。
部屋の中には大きな窓があり庭を通って車椅子や訪問入浴なども可能です。
廊下を部屋の中央に短く配置したので冬場でも寒い場所がない無駄を抑えた間取りで、
冷暖房は24時間しっかり使います。
冬場の電気代は3.5万円位になります。その分他を節約します。
これで熱中症や風邪とは無縁の暮らしを続けてくることが出来ました。
わずか4年の間に何度部屋のレイアウト変更をしたか覚え切れないほどです。
誰かが入院するたび、また、元気になるたび、あくまで人間の都合に合わせて
家の設備を変えるという暮らし方は要介護5の廣ちゃんに健康を届け、
介護者をも守ってくれます。
介護を通し優れた道具としての「家」という存在を再発見しました。
さて、話は昨年の8月19日に移ります。このころは良くしゃべり家の中をうろうろし、
目も見えていました。文字への関心は高く、たとえば「ここはトイレ」と書いてあると
何度も読んで確認して学習していきました。
何よりも音に敏感で足音が近づくと「誰かいるの?」とすかさず声がかかります。
いつものように夕食後のお昼寝をさせて1時間半ほど経った時に様子を見に行きました。
「ひろちゃーんどこにいますか〜?」と捜しながら行くと大きな声で「ここにいますよ〜」と
返ってくるのが常でした。ところがこの時はまったく返事がありません。
ベッドの上で空を掴むように手を挙げながらうっすら目をあけています。
ベッドに登って声をかけても無反応、おかしいなと思っていたら生あくびを3回しました。
実は3年前父が脳梗塞で入院した経験があり、 脳に原因があるかもしれないと
感じることができました。
身体を起こしてみると明らかに顔に麻痺が現れました。
リビングにいた母を呼び、歩かせてみることにしました。
何が出来て、何が出来ないかを確認しておかなければと思ったからです。
足はもつれながらも前に出すことが出来ました。
リビングまで移動し、椅子に座り水を飲みました。
一瞬、救急車を呼ぶことをためらいましたが、今回は呼ぼうと決め、というのも
廣ちゃんの口癖は常々「朝になっても、眠ったまま、そうやって死んでいたい」でしたので
病院での臨終になっては困ると思ったのです。
様子を見ていて希望を感じたので自分達の準備を済ませて電話をしました。
入院中は投薬治療のみの、のんびりプランでしたが生命力が高く順調に回復しましたが
左麻痺にもかかわらず失語症にもなっていて完全に無反応でした。
ある時足の裏のつぼを押してみるとこれはさすがに痛いらしく、
左右とも反応があったので元気になっていくと確信しました。
右足は良く動いていましたが動きすぎるという理由から足にクッションをあてて
動きをセーブさせている様子を見てリハビリのためにも1日も早く
在宅での介護を再開したいと感じました。
実際1ヵ月半の入院生活によって当初右手足とも動く気配が無くなってしまいました。
また、常に不機嫌そうな表情で、鼻のチューブを取ろうとするので 手にはミトンが着けられていました。
「嫌なものが着いているから取りたい」という素直さが認知症たるゆえんですし
私が一番共感できる部分なのです。
ナースに鼻のチューブのことを相談するとPEGという方法があることを教えてもらいました。
早速インターネットで調べてみると専門のサイトがあり様子がわかりました。
これなら栄養の心配をせずにじっくりリハビリが出来て安心、すごくいい。と思い、
早速お願いしました。胆のう炎を起こし、少し入院期間が延びましたが
10月5日に無事退院できました。
在宅ケアを再開するに当たり、訪問医の先生と、訪問看護、訪問入浴の利用を
ケアマネージャーさんに相談し、久保先生(あずま通りクリニック院長)そして
看護師の平野さん(セントケア豊島訪問看護ステーション)とのご縁が出来ました。
最初の1、2ヶ月をとにかく仕事返上で全力投球で頑張ろうと決めていました。
なぜならこの先100歳まで10年コースの可能性があります、
これからの10年間を寝たきり介護に付き合うことはしたくなかったし、
私を含め家族の気力、体力、経済力全てにおいて破綻してしまうと思ったからです。
退院直前に食べるリハビリについて病院のナースに尋ねると
「PEGをつけるということは、口から食べれないからつけるので
食べれるようになる前提は無いんですよ」と言われました。
それを聞いて救命病院という「命を繋ぐ場所」と、家庭という「生活を救う場所」の
根本的な違いを感じました。
生活を救ってあげるという私の発想からは、
「唾液が飲めているから唾液をりんごジュースやアイスクリームに変身させてあげたい。
それで命が終わるなら最高だわ♪」という答えしか生まれません。
健康の定義は、「ひろちゃんらしい表情や仕草が見て取れるか」ですし、
幸せの定義は「自分の気持ちを共有し共感してもらえていること」。そのように
廣ちゃんが感じられるように最大限手を打ちます。その代わり、ほかの事は我慢してね。
と優先順位を決めていきます。生活の中には臨終も含まれていると思います。
だから病院で死ぬのは不自然で家庭で死を迎える準備が大事だなと考えています。
今度何かあってもとりあえずの119番はしないと決めています。
いつも廣ちゃんに「健康にしてあげるね。毎日楽しく幸せに暮らそう。
だから食べられるようになってね」という気持ちで接しています。
では、つづいて 実際の1年間の介護生活を写真と共に振り返ってみたいと思います。
1)退院初日からPEGでの食事のたびに座らせていました。
最初は1人用のソファを使いました。良かれと思って用意したものでしたが
実は座り心地は悪かったみたいです。ところが心地よさを求めて本人が勝手に
リハビリを始めました。認知症のへこたれない精神全開、すごい勢いで
完全に力の抜けきっていた左手足が日に日に力強く動くようになりました。
これに伴って首も安定し座位も保てるようになりました。
2)退院初日に、母と私の2人がかりで介助したシャワー浴ではぐでんぐでんの状態で
大変でしたが表情が一気にほぐれました。週1回の訪問入浴と家族でシャワー浴をして
週2回のペースを保ったので身体の清拭はせずおしりまわりはベッド上で行っていましたが
今はまったくしていません。2週間ほどで座位が安定したので、訪問入浴も2ヶ月で止めて、
それ以降は1日おきのシャワー浴を続けてます。
(IKEAのクッション&ベッドカバー、ディノスオリジナルベッド76×180cm)
3)普通のハードマットレスの細身のベッドを2台並べて私が隣に寝ています。
最初の2ヶ月はお尻に小さなじょくそうが出来、エアーマットレスを使い治りましたが
ある時私が寝てみると身体が沈んで身動きとれず、ひどい気持ちで目覚めました。
これでは永遠に寝返りが打てるようにならないと思い、利用を止めました。
4)今は100円ショップで買った紙に防水コーティングしてあるテーブルクロスを敷き、
大判バスタオルでくるみ、紙製の布オムツ用のシートまたはペット用のトイレシートを並べています。
介護専用シートはゴロゴロして心地よくないので使っていません。
5)家庭介護必需品
*音楽を流すと落ち着いて寝ます。昭和初期の歌謡曲や童謡、ジャズやクラシックなど。
アンサリーが歌う蘇州夜曲は廣ちゃんお気に入りの一曲でした。
10代に聴いた音楽であることが大切です。
*部屋に換気扇を設置し高級なルームフレグランスをひとつ用意すること。
来客への抵抗感がなくなります。
*家の中をカラフルで楽しい空間にすること。
げんなりする気持ちを減らせます。
*生活用品にキャスターをつけ日常の家事を楽にすること。
エネルギーは介護で使い果たすのでちょっとでも楽が大事です。
6)トイレタイムを快適にすること。
最初リハビリパンツを使っていました。試着してみるとウエストのゴムがジャストウエストで
苦しく寝たままでの交換もしにくいのと脇のはぎ目がちくちくして痛いので
それぞれはさみでカットしてビキニスタイルにして使いました。
ところが不織布は蒸れてオムツかぶれを起こすので間もなく撤廃。
今はカラフルなコットンパンツ(ユニクロ)とパットを使い、ヨコ漏れしたら洗濯することにしました。
パットはユニチャームの夜用4回分を1回ごとに交換しています。
これが一番着け心地のバランスが良く漏れにくかったです。
7)1日中ベットと車椅子では背中がこるので、食事の後はベッドまで歩きます。
これをするようになって一気に活力が戻り、ふくらはぎの筋肉もついてきました。
実はこれにはもう一つ大事な目的があります。しがみつきながら死ぬ思いをして歩く中で
我慢していたおしっこが一気に全部出てくれます。
これでこの後のお昼寝はぐっすり長時間になります1時間半から様子次第で
2〜3時間は目が離せます。4〜5時間爆睡ということもあります。
8)エンシュアを落とす前にはとろみをつけためんつゆのお湯割りなどをあげました。
とろみ剤は美味しくないので片栗粉などを使います。
その後ゼリーが食べられるようになり、茶碗蒸しが定番になると、どんどんメニューが広がりました。
すべてレンジで作れる簡単メニューです。
ジュースも飲みます。試してないのはアルコールだけです。
エンシュアは今年に入って膀胱炎になりかけた発熱時に1〜2缶利用しただけで
3食ともご飯をしっかり食べています。
食事の最後にはバナナを食べるとお口の中がきれいになり、歯磨きが楽です。
9)いまPEGは1日900CCの水分補給と投薬のために活用しています。
PEGがあることで発熱しても安心なのと脱水症状の不安がないので
気持ちにゆとりが出ました。
10)つい2週間ほど前からスプーンを近づけると目で見て口を開けられるように
なりました。今なお変化が続いています。
現在利用しているサービスは車椅子レンタルと週2回医療保険の訪問マッサージです。
これからがますます楽しみな廣ちゃんは我が家で一番肌が綺麗でノーメークでも
ばっちりです。
以上、廣ちゃんの介護記録でした。 本日はありがとうございました。
2009.10.3 豊島区医師会館にて 宮崎詩子